「あきらめる」という選択肢はダメですか?
おはようございます。
近年の自己啓発系の本ですと、会社を起業した人や、よくテレビに出ている人が書いているもので、努力すれば必ず成功するという趣旨のものが多いように感じます。気持ちを奮い立たせるのには良いかもしれませんが、
・あきらめなければ
・努力すれば
この言葉に囚われてしまい、自分や周りを苦しめてしまう場合もあるように感じます。
「あきらめる」という選択肢
あきらめるというと、何か良い響きがしないように感じますが、これも選択肢だと思えばマイナスな捉え方もしないように感じます。
「あきらめる」という語源は、「あきら」かに認「める」こととも言われています。決まったことなどに、あきらめずとムンムンとしているより、決まった中で工夫したり、楽しむことを考えた方が遥かに心が豊かになります。特に相手に何かを強いることで、自分の希望を実現させようとする時などは、キッパリと諦めた方が、結局は嬉しいことや楽しむ事が多いように感じます。自分の努力次第でどうにかなることでしたら、あきらめずに取り組む事が必要になる場合もあるかもしれませんが、ここも注意点が必要のように感じます。
努力すれば必ず叶うのか
「努力すれば必ず叶うから努力し続ける事が大切」ということもよく言われますが、本当にそうなのでしょうか。努力するということは、さも良いことをしていることのように感じますが、本当にそうなのでしょうか。努力を成功させるには、適切な量で、適切な方向にしていかなければいけないと感じます。もし間違っている方向に間違っている量をかけたら、上手くいくものも行かなくなってしまいます。頑張ることはとても素晴らしいことだと思いますが、頑張りを報われるためにも、適切な方向に適切な量をかけなければいけないと感じます。
スポーツや身体作りも一緒で、適切な行い方で、適切な量を行わなければなりません。何も事もこれと繋がるものがあると感じます。それと同じぐらいに感じる事で、イチロー選手の言葉でいいものがありました。
「努力は報われますか?」という質問に対して
「報われるとは限らないですね。もっと言えば努力と感じている状態ではまずいでしょうね。その先に行けばきっと人には努力に見える、でも本人にとってはそうでもないという状態が作れる。そうすれば勝手に報われることがあるんです。」
こんな言葉を残していました。
報われることもあるというのがポイントのように感じます。必ず報われるとは言ってませんね。報われることがあるというのがそうなのでしょう。
ですが、努力と感じているうちは、自分の中で頑張っている状態なので、この状況を楽しんだり、熱中したりすると勝手に結果がついて来ることもあります。
私の周りでも、この人すごい事してるなと思っても、意外と本人はケロッとしてる事は多いように感じます。
何を取り組むにしても今の状況を楽しんで取り組みたいものです。
楽しんでいたら、いつの間にかスゴイことになっているかもしれませんね。
榊原裕希